特養から見に来てくれた

全ての入所申込書を送って10日ほど経った頃、ある特養から電話がありました。

「うちは○○苑です。先日お申し込みいただいたので、今度、様子を見にうかがいま~す」

「え、でも、実際に入所できるのって何年も先になるんですよね。来てもムダじゃないんですか?」

「いえ、でも、何かお力になればと思いまして~」

そして、そこの男性スタッフが数日後に来てくれました。
母は隣の和室で暑さでぐったり寝ていました。
彼はその様子をちらっと見て、私の話を聞いてくれました。

デイサービスもショートステイもいやがって行かないこと。
介護にかかりきりで、仕事に行けなくなったこと。
火の不始末や徘徊が心配で外出もおちおちできないこと。
昼夜逆転で、夜も熟睡できないこと。
などを話しました。

「じゃあ、試しにうちのショートに来てみませんか?」

え、いいの~?

そういうことは今のケアマネさんが手配してくれるところしか
行けないのだと思っていました。
勝手に自分たちで決めてはいけないと思い込んでいました。

そして、○○苑のショートステイに1週間入りました。

帰宅した母は、まるで、天国に行ってきたかのように興奮していました。
今までで、一番うれしそうでした。
女性スタッフたちがとてもやさしくしてくれたそうです。

こことは相性が良さそうだわ。
入るならここだわ。

しかし、長期入所は空きがないので、
当分はショートを繰り返すしかありませんでした。
それでも、行かないよりずっと助かります。

ショートステイを利用した。

春休みに遊びに来ていた息子が、おばあちゃんが心配だからと田舎に帰らずに、私が仕事で出かけるときは、家で気をつけてくれていました。

しかし、いつまでも居るわけにも行きません。
母の症状はひどくなる一方。

水の出しっぱなし、電気のつけっぱなし、火のつけっぱなしは当たり前。
フラフラと出歩くこともしばしば。
昼夜逆転。
夜中に炊事するので、夜も熟睡できません。
階下で音がするとハッとして目が覚めます。

母が5月もデイサービスに行きたがらなかったので、ケアマネがショートステイを利用しましょうと言ってくれました。

紹介された所と契約を交わし、6月に利用することになりました。
もう疲れ切っていたので、事前見学もしませんでした。

当日、送迎の車に二人で乗り込みました。
母に言うといやがるだろうから、お泊まりの荷物は小さくしてこっそり車の荷物入れにいれました。

到着したのは巨大な老人ホームの一角でした。
母には、良いところが見つかったから見学に行こうとだけ話してありました。

通された個室はTV、洗面・トイレ付きで居心地が良さそうでした。
母がそこのスタッフと話しているすきにこっそり帰りました。

一週間は極楽でした。
家や母のことを忘れて、ちょっとした旅行やショッピングを楽しみました。
車で送られてきた母は何事もなかったかのようでした。

荷物を片付けて落ち着くと
「私なんであんな所に放り込まれたのかしら~?」と言いました。

私は、「お母さんがデイに行かないから、ケアマネさんが刺激がないと良くないって心配して手配してくれたのよ~」と言いましたが、何のことだかわからなかったようです。

そこのスタッフがとても親身になってくれて、あの人に会いに行ってお礼が言いたいとしきりに言っていました。

しかし、そこも2回目は混んでいて多床室になってしまいました。
4人部屋で、夜中に大声で騒ぐ人がいて眠れなかったとプリプリ怒って帰ってきました。

3回目も多床室しか空きがなく、今度は頭から湯気が出そうに怒って帰宅しました。
「もう絶対にあんなとこ、行かないよ~!!」

ケアマネに頼んでも、個室は早くからの予約でいっぱいで、私の力ではどうにもなりませんとのこと。

ああ、これ以上は無理だなあ~
ショートで当分行けるかと思ったけれど、もう最後の手段を考えなくては。

デイサービスを利用した。

取りあえず、ケアマネさんのすすめで、そこのデイサービスを利用することにしました。
このままでは、介護者が疲れてしまうと満足な介護が出来なくなるし、
母がどんな事故を引き起こすかわかりません。

先日も、線路内に迷い込んだ認知症の方が電車にはねられて亡くなりました。
電鉄会社からは損害賠償の請求が数百万円来たそうです。
泣きっ面に蜂とはこのことですね。

我が家は線路の近くです。
母は身体は丈夫で遠くまで歩いて行けます。

デイサービスを利用するのも結構大変でした。

二人で見学に行き、施設内を見学し、説明を聞いて帰る。
後日、ケアマネとデイサービスのスタッフがやってきて、契約書を読みあげ署名捺印をする。
費用の引き落としに、口座振り替え用紙を記入、銀行に提出する。
その後、ケアマネが1ヶ月のケアプランを作成して持ってくる。
それに基づいて、週何回行くか決める。

慣れるまでは週2回にしました。

母は「なんだかわからないけど、忙しそうだね~」
と来た人にお茶を出していましたが、誰も飲みませんでした。
(規則なのかな?)

行く日は朝8時頃、
「これから迎えに行きます。すぐ出られる準備をしておいてください」
と電話があります。

この靴じゃいやだ。
この服は地味で格好悪い。
傘を持っていこうか?
帽子がいるかもしれない。
何時に帰れるんだろう?
やっぱり、行くのをやめようか~

直前になると、子どものようにいろいろ言い出して、
送迎車が待っているのに、
なかなか玄関から出て行こうとしませんでした。

無理に引っ張り出して、車に押し込みました。

当時の記録を見ると、4月は3回、5月1回、6月2回、7月2回、8月0回でした。
初めはみんながちやほやしてくれましたが、だんだんそうでもなくなると、疲れる、昼ご飯が美味しくない、ペースが会わないとごねて行きたがらなくなりました。

今まで、一人で好き勝手に生活していたのだから、当然です。

ケアマネが翌月のプランを持って来たときに、泣き落として、やっと指切りげんまんで約束させていました。

さあ、大変だ!どうしたらいいんだろう?

突然、認知症と診断されて、やっぱりと思いましたが、これからどうしたらいいんだろうと頭が真っ白になりました。

とりあえず、情報集めだ!

ネットで認知症についてのサイトを見て回りました。
図書館で認知症の本を数冊借りてきました。

仕事の後、毎晩、ネットサーフィンをして、
通勤の合間に車内読書に励みました。
(パート勤務)

一週間ほどで、認知症のことがほぼ頭に入りました。

いつ、どのくらい進行するかわからないし、突然どんな行動をするかわからないのが認知症です。

そのため、地域で相談するところを見つけなくては!

市役所の介護課に電話したり、地域包括センターに電話したりしました。

そして、地域包括センターの主任が家庭訪問、翌日にはそこの紹介でケアマネージャーがやってきて、数日後には市役所の介護課から介護認定の調査員が来て、老女二人のひっそり生活が大逆転!

当時はケアマネのこともよく分からず、介護のことなら何でも知っているとばかり思っていました。後になって、そうでもないことが分かってきました。

そのケアマネさんは、近くのデイサービスセンターに所属しているケアマネでした。
とにかく、自分のデイサービスセンターに通わせることに一生懸命な人でした。