介護の方針を持ちましょう。

親の介護が必要になったら、どのような介護をしたいのか、どのような看取りをしたいのか、方針をしっかり立てたいですね。

そうでないと、周りの人の意見に左右されて、あれをしてみたら、これが良いかもとウロウロしてしまいます。

時間とお金をムダに使ったあとで、ああすれば良かった~、こうすれば良かった~と悔やむことになります。

私の場合:
基本方針は、看取りの時は、親の気持ちを大切にすること。
元気なときから、「延命措置はしないで欲しい」と言っていましたので、そうするつもりです。
認知症なのに、1分1秒でも長く生きさせることは無意味だと思います。
苦しまずにすーっと逝って欲しいです。

介護未経験者の子供が苦労して介護するより、出来るだけプロにお願いしたい。

葬式やお墓、法事には、お金をかけない。
出来たら豪勢なお葬式をしてあげたいですが、残された家族のこれからの生活を重点におきたいです。
本人も「格安葬儀で良いよ」と日頃から言っていました。

介護のために、離職したり、他の家族を犠牲にしない。
これも当然ですよね。

このような基本姿勢をつらぬいて、後で後悔しないようにしたいと思います。
余計な口出しをするのは、責任のない遠い親戚や友人が多いです。
それに振り回されて、辛い思いをしたくありませんよね。

介護はプロに任せるべし!子供が離職して同居、全面的に親の介護に取り組むことには反対!

年老いた親に介護が必要になったとき、
まず考えるのは、
子供である自分がお世話をしたいと思うのが普通ですね。

しかし、親はどんどん自分で出来ることが少なくなり、
おまけに認知症になり、
一日中、目を離せなくなります。

仕事にも出られず、買い物も行けず、
夜も眠れず、
自分の生活がなくなります。

私の場合もそうでした。

この医療系自営業者、スギポンさんの記事では、
その葛藤をズバリ、気持よく表現してくれています。

ぜひ、読んでみてください。
そして、出来ることから、少しでもプロに任せるようにしましょう。

親はいずれあの世に帰りますが、
子供はまだまだ生きなければなりません。

介護はプロに任せるべし!子供が離職して同居、全面的に親の介護に取り組むことには反対!
スギポンさんのブログ
https://sugipong.com/20171229kaigo/

 

シルバー人材センターの活用も必要です。

先日、特養でシニアを活用する記事を書きましたが、シルバー人材センターでも特養のお仕事を受注しているところがあります。

下は横浜市港南区の例です。

字が小さいですが、勤務先は特養・ケアハウス
仕事の内容は

お弁当の配達
病院への送迎
施設内の雑務、清掃、洗濯物の管理

時給 956円、交通費実費支給
シフト制 週3日、9:00~18:00、9:30~18:30
(高齢者には勤務時間長いですね。)

全国あちこちのシルバー人材センターで、会員を募集しています。
シニアで60才以上の健康な方なら、お住まいの自治体にあるシルバー人材センターに登録できます。会費がかかります。年間2,500円くらい。

どんな仕事があるか
(特養や施設の仕事を集めてみました。
センターによって仕事の種類はかなり異なります。)

特別養護老人ホームの入所者の洗濯・室内清掃
特別養護老人ホーム入所者の食事介助
高齢者共同生活施設の宿直・日直
デイサービス利用者の送迎

こういう人材の活用も必要ですね。
会費を払っても働く意欲のある人たちです。
有効活用して欲しいと思います。


シルバーしごとネット
https://shigoto.sjc.ne.jp/index.jsp

公益法人
全国シルバー人材センター事業協会
http://www.zsjc.or.jp/

タレント、ドロンズの大島直也さんの介護体験

最近、有名人やバリバリ仕事をしている人の介護体験の本や手記が増えています。タレント大島直也さんのお母様の場合をご紹介します。

独り暮らしの母親にガンが見つかる
ガン治療専門病院のそばのアパートに引っ越す
うつ病になった
デイサービスに通う
在宅の限界を感じて特養に入所
81才で亡くなる。

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[大島直也さん]「孝行を…」番組断り介護
2018年3月18日

タレントで元お笑いコンビ「ドロンズ」の大島直也さん(46)は昨年7月、母のいくよさんを81歳で亡くしました。がんが見つかってから約1年半の間、芸能界の仕事をほとんどせずに介護を続けました。「親孝行をしたかったが、介護がこんなに大変だと思わなかった」と振り返ります。

「介護は話を聞いてくれる人がいないと自滅してしまう。私は兄姉が支えてくれました」

「定期健診に引っかかったので、一緒に病院に行ってほしい」。
2015年12月、母から電話がありました。

母は、04年に父が他界してから、神奈川県の自宅で一人暮らしをしていました。それまで大きな病気をしたことはなかったので、びっくりしました。色々な検査をした結果、16年2月に肺がんと診断されました。ステージ4で、腰骨にも転移していました。

当時は、久しぶりにテレビのレギュラー番組の仕事が決まり、意気込んでいるときでした。しかし、介護が始まると、長時間拘束されたり地方に行ったりする仕事は難しい。兄と姉は遠方にいる。悩みましたが、「母を一人にしたくない」と思い、芸能の仕事は断ることにしました。

大島さんは、がん治療の専門病院に通いやすい所にアパートを借りた。いくよさんと2人で暮らし、介護生活が始まった。

母はもともと社交的で、老人クラブにも参加していました。しかし、引っ越しをしてからは、急に引きこもるようになってしまいました。友人から電話があっても「二度と電話しないで」と言って電話を切ることもありました。買い物も一人では行かず、いつも私が付き添いました。

やがて、身の回りの世話の全てを、自分勝手な思い付きで、私に言いつけるようになりました。イライラが募り、ついきつく当たることもありました。

ある日の朝、「何時に帰ってくるの」と聞かれたので、「遅くなる」と答えました。すると、「帰ってきたら死んでるかもしれないから」と言われました。思わず顔を母に近づけて、「どんな気持ちになるか分かっているのか」とどなり、手で床をたたきました。

「母が心配で自分から始めた同居なのに」と、自己嫌悪に陥ることも度々でした。16年の夏頃に分かったことですが、母はがんになったショックから、反応性うつ病を発症していました。

大島さんは「このままでは2人とも自滅する」と考え、地域包括支援センターに相談に行った。ケアマネジャーからは、デイサービスを利用するように勧められた。

母はデイサービスに行くのを嫌がりましたが、ケアマネジャーから「引きこもってばかりもよくない」と説得されました。実際に通い出すと、結構楽しそうでした。

しかし、腰の痛みがひどくなり、外出もままならなくなりました。自分でできることがどんどん減りました。つたい歩きができなくなり、ハイハイするようにしか移動ができなくなりました。

私がコールセンターのアルバイトから帰ると、ツーンとした 糞尿 の臭いがすることも増えました。おむつをずらしてしまうので、布団の周りが便だらけのことも。片付けをしながらも、「こんな生活がいつまで続くのか」と不安で仕方なかったです。

いくよさんは17年1月、放射線治療のために入院。その後は、自力での生活は困難になり、大島さんは自分だけの介護に限界を感じたという。いくよさんは同年4月、特別養護老人ホーム(特養)に入所した。

特養には正直、暗いイメージがありましたが、そこは、とてもきれいな施設でした。さみしくないようにと、花を飾ったり父の遺影を置いたりしました。私も2日に1回は会いに行きました。

母は次第に食事ができなくなりました。同年7月には、特養の担当者から「 看取 りと葬儀の準備をした方がいい」と言われました。母の回復を願って会いに行く一方で、「少しでもいい形で送り出したい」と葬儀の準備を進める。まるで自分が2人いるような感覚でした。

亡くなる数日前には、特養から連絡を受け、姉も駆けつけました。交代で特養に寝泊まりをし、見守り続けました。最後は、苦しむことなく旅立ちました。介護が終わり、ほっとした気持ちと、もっと色々できたことがあったかもという気持ちがあります。

いまは芸能界の仕事に戻りました。しかし、介護の体験を伝えたい気持ちもあり、介護者の支援活動に参加するようにもなりました。

介護は本当に大変なことですが、介護している人がつぶれてしまったら終わりです。実際に、悲しい事件も耳にします。自分の生活を大切にすることで、人にも優しくなれる気がします。(聞き手・加藤亮)

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20180312-OYTET50102/
読売オンライン ヨミドクター

介護ヘルパー、耐えられないのは「シモの世話」が理由ではない

こんな記事を見つけました。

介護ヘルパー、耐えられないのは「シモの世話」が理由ではない
2017年12月18日

年末年始は時給1350円になるホテルの客室清掃に応募した本誌・女性セブンの「オバ記者」こと野原広子記者。60才にして抱く、掃除の仕事への思いとは?

 * * *
 掃除の仕事というと、“トイレ”がちょっとしたハードルなのね。

 大手不動産会社を定年退職後、マンション管理人になったM子(私と同じ60才)も、「いろんな人が使うトイレの掃除をしなくていいから、ビル掃除よりいいかと思って」とやけにキッパリ。

「なんでそう思うの?」と聞くと、「すごくミジメな気持ちになりそうだから」だって。

 地下鉄のスカウトのおばちゃんも、私にチラシを渡すとき、「トイレ掃除がないビルもあるし…」と、どこか歯切れが悪かった。

 …そういえば、40代後半にホテルの客室掃除をした経験を持つ私も、最初は抵抗があったっけ。もっとも、それも最初だけ。そのうち、体がチャッチャと動くようになっていた。

トイレの話で思い出したのが、怪しげなテレフォン営業をしていた友人R子(58才)や、輸入雑貨店を経営していた知人S香(64才)など、介護ヘルパーを始めた友人たちのこと。

 彼女たちから、“シモの世話”のグチはいっさいなかった。不思議に思って聞くと、なんでそんなことを聞くの?といわんばかり。R子は、「両手にゴム手袋をしたら、気持ちが切り替わるのよ。何とも思わない」だって。

 その後も私は、「シモの世話がイヤで、介護の仕事を辞めた」という人に一度も会ったことがない。

 では、「介護ヘルパーは耐えられなかった」という人は何がイヤだったか。ひと言でいえば“人間関係”で、もっと言えば、高齢者から延々と身内の悪口を聞かされることだという。

 知人S香は、「大小便はニオイも形も、人によってたいした違いはないけど、人を恨んだり、憎む気持ちは強弱も質もいろいろ。この毒がどんどん体に貯まっていくんだよ」と、うんざりした顔で言ってたっけ。

※女性セブン2018年1月1日号
https://www.moneypost.jp/232169