今までの経過と決まったときの礼儀

今までの経過を振り返ってみます。

2015年4月
母認知症と診断される
要介護3と介護認定受ける
デイサービス始める

6月 ショートステイ始める
8月 特養に申し込む(郵便で30カ所)
9月下旬 特養入所決定
(申込書を送ってから2ヶ月弱)

認知症と診断されてから約半年。
初めての体験だらけだった、怒濤のような日々が終わりました。

そして、入所して最初の頃はトラブルもありましたが、
数ヶ月後にはすっかりなじんでいました。

もしかしたら、気に入らないかもしれない。
別の特養に移ることになるかもしれない。

そう考えて、まだ他施設のキャンセルをしていませんでした。
入所後、ポツポツと他の特養から、
「今どのようなご様子ですか?入所についてどうですか?」という電話が来るようになりました。
様子を聞くと言うことは順番が上位に上がってきた証拠です。

事情を話してキャンセルさせていただきました。

まだ、二十数カ所残っていましたので、それらはハガキにコピーして
全てキャンセルました。

「特養入所マニュアル」を読んでから、スタッフさんのご苦労がよく分かるようになりました。これ以上、よけいな手間をかけては申し訳ないという気持でした。

決まったらキチンとキャンセルしましょう。

次回から、なぜこんなに早く入所できたのかを考えてみたいと思います。

母が骨折した!

さて、母をD苑に放り込んで、2ヶ月は会いに行くのをガマンしようと思っていました。

必要な書類や冬用の衣類を届けに行き、受付でケアマネさんや担当のスタッフさんに様子を聞くだけでした。

最初は帰りたがって駄々をこねていたが、次第に慣れてきて他の入所者さんたちとおしゃべりするようになったとのこと、少し安心。

ところが一ヶ月後、苑から電話。
母が骨折したので、病院へ連れて行ったとのこと。母は骨粗鬆症でした。

翌朝、慌てて苑へ行ってみると、母は三角巾で左腕を吊っていました。明け方、薄暗い時にベッドから起きてつまずいて、左手首を骨折したのでした。

レントゲンを撮ったらしいのですが、スタッフさんは詳しいことは知らないようでした。
昨日は応急処置だったので、明日、もう一度受診するとのこと。

どうやら、ポッキリ折れたのではなく、手首の細い骨がどうにかなっていたらしい。とにかく、誰が連れて行って、診断結果がどうだったのか、要領を得ませんでした。
今、思えば、もっと突っ込んで聞けば良かった。

それから、10日後、勝手にギブスを外してしまったから、そちらで病院に連れて行ってくださいとの電話。

仕方ないので、車で迎えに行ってかかりつけの病院に行きました。ギブスをはめ治してもらって送り届けました。

苑で起きたのだから、苑の責任だと思うのですが、人手が足りないとか、別費用がかかるとか、理由を言ってくれれば、納得して連れて行ったのになあ。
なんだかしっくり来ませんでした。

個室で一人で勝手に骨折したのだから、苑には責任がありませんという態度でした。
その後も何回か勝手に外してしまいましたが、なんとか骨はくっつきました。

認知症だから、外しちゃダメよ、と何回も言ってもすぐに忘れてしまうのでした。

まあ、顔色は良かったし、入所前よりふっくらしていたので、ケアは良かったようです。

言うことを聞かないで面倒ばかり起こすと、追い出されるのではないかとヒヤヒヤしました。
折角入れたのに、家族が責任がどうのとうるさくするのは、まずいような気がしました。
ホームとのつきあい方に考えさせられました。

「認知症は20代から脳内で進行している」という記事

「認知症は20代から脳内で進行している」:
アルツハイマー病の「脳での最初の発生部位 — 青斑核」が初めて特定され、その損傷が数十年の時間と共に病気を形成し続ける可能性
2016/02/18

「認知症は20代から脳内で進行している」:アルツハイマー病の「脳での最初の発生部位 — 青斑核」が初めて特定され、その損傷が数十年の時間と共に病気を形成し続ける可能性

さあ、大変だ!どうしたらいいんだろう?

突然、認知症と診断されて、やっぱりと思いましたが、これからどうしたらいいんだろうと頭が真っ白になりました。

とりあえず、情報集めだ!

ネットで認知症についてのサイトを見て回りました。
図書館で認知症の本を数冊借りてきました。

仕事の後、毎晩、ネットサーフィンをして、
通勤の合間に車内読書に励みました。
(パート勤務)

一週間ほどで、認知症のことがほぼ頭に入りました。

いつ、どのくらい進行するかわからないし、突然どんな行動をするかわからないのが認知症です。

そのため、地域で相談するところを見つけなくては!

市役所の介護課に電話したり、地域包括センターに電話したりしました。

そして、地域包括センターの主任が家庭訪問、翌日にはそこの紹介でケアマネージャーがやってきて、数日後には市役所の介護課から介護認定の調査員が来て、老女二人のひっそり生活が大逆転!

当時はケアマネのこともよく分からず、介護のことなら何でも知っているとばかり思っていました。後になって、そうでもないことが分かってきました。

そのケアマネさんは、近くのデイサービスセンターに所属しているケアマネでした。
とにかく、自分のデイサービスセンターに通わせることに一生懸命な人でした。

母親が認知症に!

父が亡くなってから数年間、母は一人暮らしでした。
私が独身になり、実家で二人暮らしが始まったのが2010年です。

少し言動がおかしかったのですが、もう年だからね~と笑っていました。
もうあの頃から少しずつ認知症が始まっていたのでしょう。

2014年になると、いよいよおかしくなってきました。
食事をあんパンやバナナですませたり、同じ物ばかり何回も買ってきたりするようになりました。

もの忘れ外来というのがあるから、行ってみようと話したら「あたしゃ、そんなにモウロクしていないよ~!」と怒ってずいぶん意地悪をされました。

それでもめげずに月に一回くらい、勧めていました。
「今はいい薬があって、頭がはっきりするらしいよ」
「頭が良くなる訓練もあるらしいよ」

とうとう、2015年4月ある日の朝、「そんなに言うなら、行ってみてもいいよ」と答えてくれました。

大急ぎで私の軽に乗せて、ちょっと離れた病院まで連れて行きました。
まだ、受付開始時間ではなかったので、駐車場で満開の桜吹雪を眺めながら数時間待ちました。

初めての病院で、年配の女医さんでした。
そこで、長谷川式の質問をされて、
母はほとんど答えられませんでした。

診断は「重度の認知症です」
診断書を書いてもらい、薬をもらって病院を後にしました。

この後、成年後見制度のこともからんでくるのですが、話が複雑になるので、母が特養に入るまでを書いてからにします。