デイサービスを利用した。

取りあえず、ケアマネさんのすすめで、そこのデイサービスを利用することにしました。
このままでは、介護者が疲れてしまうと満足な介護が出来なくなるし、
母がどんな事故を引き起こすかわかりません。

先日も、線路内に迷い込んだ認知症の方が電車にはねられて亡くなりました。
電鉄会社からは損害賠償の請求が数百万円来たそうです。
泣きっ面に蜂とはこのことですね。

我が家は線路の近くです。
母は身体は丈夫で遠くまで歩いて行けます。

デイサービスを利用するのも結構大変でした。

二人で見学に行き、施設内を見学し、説明を聞いて帰る。
後日、ケアマネとデイサービスのスタッフがやってきて、契約書を読みあげ署名捺印をする。
費用の引き落としに、口座振り替え用紙を記入、銀行に提出する。
その後、ケアマネが1ヶ月のケアプランを作成して持ってくる。
それに基づいて、週何回行くか決める。

慣れるまでは週2回にしました。

母は「なんだかわからないけど、忙しそうだね~」
と来た人にお茶を出していましたが、誰も飲みませんでした。
(規則なのかな?)

行く日は朝8時頃、
「これから迎えに行きます。すぐ出られる準備をしておいてください」
と電話があります。

この靴じゃいやだ。
この服は地味で格好悪い。
傘を持っていこうか?
帽子がいるかもしれない。
何時に帰れるんだろう?
やっぱり、行くのをやめようか~

直前になると、子どものようにいろいろ言い出して、
送迎車が待っているのに、
なかなか玄関から出て行こうとしませんでした。

無理に引っ張り出して、車に押し込みました。

当時の記録を見ると、4月は3回、5月1回、6月2回、7月2回、8月0回でした。
初めはみんながちやほやしてくれましたが、だんだんそうでもなくなると、疲れる、昼ご飯が美味しくない、ペースが会わないとごねて行きたがらなくなりました。

今まで、一人で好き勝手に生活していたのだから、当然です。

ケアマネが翌月のプランを持って来たときに、泣き落として、やっと指切りげんまんで約束させていました。

「認知症は20代から脳内で進行している」という記事

「認知症は20代から脳内で進行している」:
アルツハイマー病の「脳での最初の発生部位 — 青斑核」が初めて特定され、その損傷が数十年の時間と共に病気を形成し続ける可能性
2016/02/18

「認知症は20代から脳内で進行している」:アルツハイマー病の「脳での最初の発生部位 — 青斑核」が初めて特定され、その損傷が数十年の時間と共に病気を形成し続ける可能性

これからの流れ

これからの流れを箇条書きにしてみました。
こんな順序で書いていこうと思います。

・デイサービスを利用した。

・ショートステイを利用した。

・私が仕事に行けなくなった。

・最後の手段は特養に入れること。

・特養の情報を集める。

・さまざまな老人施設を見学する。

・特養に入所申請をする。

・特養によって対応はさまざまだった。

・特養から現状を見に来てくれた。

・特養のショートステイを利用する。

・幸運にも空きが出た。

・入所を決心する。

・入所手続き

・入所後の母の状況

さあ、大変だ!どうしたらいいんだろう?

突然、認知症と診断されて、やっぱりと思いましたが、これからどうしたらいいんだろうと頭が真っ白になりました。

とりあえず、情報集めだ!

ネットで認知症についてのサイトを見て回りました。
図書館で認知症の本を数冊借りてきました。

仕事の後、毎晩、ネットサーフィンをして、
通勤の合間に車内読書に励みました。
(パート勤務)

一週間ほどで、認知症のことがほぼ頭に入りました。

いつ、どのくらい進行するかわからないし、突然どんな行動をするかわからないのが認知症です。

そのため、地域で相談するところを見つけなくては!

市役所の介護課に電話したり、地域包括センターに電話したりしました。

そして、地域包括センターの主任が家庭訪問、翌日にはそこの紹介でケアマネージャーがやってきて、数日後には市役所の介護課から介護認定の調査員が来て、老女二人のひっそり生活が大逆転!

当時はケアマネのこともよく分からず、介護のことなら何でも知っているとばかり思っていました。後になって、そうでもないことが分かってきました。

そのケアマネさんは、近くのデイサービスセンターに所属しているケアマネでした。
とにかく、自分のデイサービスセンターに通わせることに一生懸命な人でした。

母親が認知症に!

父が亡くなってから数年間、母は一人暮らしでした。
私が独身になり、実家で二人暮らしが始まったのが2010年です。

少し言動がおかしかったのですが、もう年だからね~と笑っていました。
もうあの頃から少しずつ認知症が始まっていたのでしょう。

2014年になると、いよいよおかしくなってきました。
食事をあんパンやバナナですませたり、同じ物ばかり何回も買ってきたりするようになりました。

もの忘れ外来というのがあるから、行ってみようと話したら「あたしゃ、そんなにモウロクしていないよ~!」と怒ってずいぶん意地悪をされました。

それでもめげずに月に一回くらい、勧めていました。
「今はいい薬があって、頭がはっきりするらしいよ」
「頭が良くなる訓練もあるらしいよ」

とうとう、2015年4月ある日の朝、「そんなに言うなら、行ってみてもいいよ」と答えてくれました。

大急ぎで私の軽に乗せて、ちょっと離れた病院まで連れて行きました。
まだ、受付開始時間ではなかったので、駐車場で満開の桜吹雪を眺めながら数時間待ちました。

初めての病院で、年配の女医さんでした。
そこで、長谷川式の質問をされて、
母はほとんど答えられませんでした。

診断は「重度の認知症です」
診断書を書いてもらい、薬をもらって病院を後にしました。

この後、成年後見制度のこともからんでくるのですが、話が複雑になるので、母が特養に入るまでを書いてからにします。